いつからこんなに(孤独な分衆)

いったいいつからこんなに日本は、孤独な分衆の社会になったのだろう。
散歩をしていて気がつくことがある。行き交う私に「おはようございます。」と声をかけて来るのは間違いなく日本人のお年寄りや外国人である。まず日本人の若者は挨拶をしない。だが、日本人のお年寄りと、外国人では挨拶をして来る理由が違う気がする。
外国人は、挨拶で敵意がないというメッセージを交わすと聞いたことがある。しかし、日本人は、そもそも敵だなんて思ってないから挨拶を交わすのではないだろうか。すると、若い日本人は他人に対してこの人は敵の可能性があると思うから、挨拶をしないということになるのだろうか。
若者を見ていて、年々、人間関係を作るのが苦手になっていると感じる時がある。少なくとも、新しい人間関係を作るのにとても時間がかかる。いや、地元の旧友から外の友人へと移行しないで、いつまでも同じ仲間で集まっている傾向が強いといった方が良いだろうか。
今の若い日本人は、居心地の良い場所を離れて、新しい出会いを求めることに臆病なのではないか。自分が仲間と認めた間でしか挨拶をしない。それは一方で、挨拶を交わす間柄になったのちに、挨拶しなくなる間柄になることを恐れているのではないか。つまり、基本的に容易に他人を信頼し切れない関係が根底にある気がする。
欧米には、人は皆、考えていることが違うとういう個人主義がある。だから、常に言葉を発することで互いの考えを示し合うことでしか互いを理解できないと考えている。私がそう実感したのは、アメリカにホームステイした時だった。朝、コーヒーは好きか?砂糖はスプーン何杯入れるか?などと聞かれ、スプーン2杯の甘いコーヒーが好きだと答えると、それから2週間、毎朝甘いコーヒーが出てきた。ある朝、時間がなくて車に飛び乗った私を追いかけて来て、甘いコーヒーを渡した時は、その徹底ぶりに驚いた。さらに驚くことに、オレンジジュースが好きだと言ったら、その日以来、甘いコーヒーとオレンジジュースが両方出てくるようになった。(後から考えたら、コーヒーとオレンジジュースのどちらかでいいと言うべきだった。日本人はNo thank you.を言うのが苦手だ。だから、ついつい勧められるままに飲み食いし、美味しくもないのに美味しいと言ってしまう。おかげで、私はホームステイで、10Kgも太ってしまった…)そして、個人主義が根付いていることを確信したのは、ホームステイ先に小さな子どもがやって来た時だった。初対面の私に、youはどこから来た?何をしにアメリカに来た?などと質問責めにする姿に、日本人ではそんな子どもはまずいないと思った。
話が少しそれた。要は、今の日本人は、中途半端に個人主義なのだろう。基本的に他人を信頼し、地縁を重んじていた昔でもなく、かと言って、全面的に他者を他者として尊重し、コミュニケーションによって信頼を築こうともしない。この中途半端な心持ちが、孤独な分衆を形成しているような気がする。