負の妄想

単なる偶然ですかね。今日は朝の出勤時も、夜の帰宅時も、電車の緊急停止に遭遇しました。
朝は、線路内に人が侵入した恐れがあったそうです。帰りは、人身事故。
今日は3月10日。受験に失敗しての…。それとも、別れの季節だから、何かに絶望して…。いや、就活が解禁された月だ。早くも就活に絶望した学生が…。
それとも、配置換えの時期だから…。いやいや、非正規雇用が4割もいる世の中だ。経済苦に喘ぐ人も増えているのではないか。
勝手な負の妄想が次々に頭に浮かぶ。
いずれにせよ、電車がやたら止まる。その多くが人身事故だ。それほど、苦しい人が増えているのか。

緊急停止車両の中で児童虐待の通報が増えているという記事が目に飛び込んできた。児童虐待の通報数は、学校におけるいじめ報告件数と同じで、かつてなら発見されない事案を発見し報告するようになったと前向きに捉えることもできる。
車内の人のほとんどが薄べったい四角い光に取り憑かれていて、誰一人として視線が合わない。
不気味な時間が流れる。これもこれで、暇の潰し方が変わっただけで、依存せずに上手に付き合うようになっていけば良いとも考えられる。
かく言う私も、ちょっと大きな四角い光に向ってキーボードを押してこのブログを書いている。

しかし、近年の人身事故の多さには閉口する。歩きスマホでホームから転落者が増えているという人もいるだろう。だが、そうとも思えない。やはり、経済的な閉塞感が大きく背景に広がっているように思えてならない。
静かにしかし、着実に夜が更けていくように、じわじわと、しかし着実にサラリーマンの貯蓄が減っているという。

未来に不安を抱えながら、それでも景気が良くなるとは思えない。未来が不安な家計から景気を浮上させる消費は生まれない。
先行きに確信の持てない企業が内部留保に多くの利潤を回さず、給与をあげて行くとも考えにくい。
アベノミクスは、三本目の矢が飛ばないうちにその役割を終えようとしているという記事を読んだ。
財政政策と金融政策だけで景気が浮上するというのなら、もうとっくにそうなっているのではないか。


本当に信じられる明るいニュースがそろそろ必要だろう。

未来に安心を与えるようなニュースをもたらす政治が今ほど必要なときはないのではないか。
今がどんなに苦しくても、歯を食いしばって生きて行こう。そう思わせてくれる政策を掲げ、信頼という文字とはおよそ無縁に成り下がった政治に、信じてみたくなるような具体的かつ斬新な政策を打ち出せる政治家はいないのか。