祈るということ

人間のできることには限りがある。

どんなに力んでみても、どんなに行動してみても、自分の力で変えられることには限界がある。
明日の命すらどうにもならないかもしれない。
そんな、自己の限界を自覚したとき、人は祈るのだと思う。
有神論的実存主義のヤスパースというドイツの哲学者がいた。彼は、人知を超えた神のようなものを「包括者」を呼んだ。
人間の認識は限界状況までであり、そこから先にはただ、包括者を知ることはできず感じることしかできない。例えば、人間は「死」という避けることができない限界状況が存在することを知るこてとはできても、「死」とは何かを知ることはできない。だから、われわれ人間は、現行状況の向こうにその存在を感じることしかできない包括者へと祈ることしかできない。
彼は「真理は二人から始まる」とも言っている。
人は一人では生きていない。他者もまた自己の思い通りには生きていない。生と死が限界状況であるように、他者もまた限界状況である。そして、他者との交わりなしに自己はない。限界状況の外との交わりなしに人は生きられない。人はだから、常に不安を抱え、生きざるを得ない。
他者や死といった存在を通して示される自己の限界状況と、自己の外へとつづく交わりに気づき、他者への愛を自覚するとき、人は生かされてある自己、導かれ、支えられ生きている自己があることに感謝せずにはいられない。
限界状況の外にある、包括者への感謝が祈りの本質なのだと思う。

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コメント: 2
  • #1

    八千代東 (金曜日, 14 4月 2017 14:35)

    先生みました

  • #2

    ザッキー (金曜日, 14 4月 2017 18:23)

    さっそく、見てくれてありがとう。