21日 7月 2018
教育改革が叫ばれ、国は高大接続改革を進めようとしている。その中心にあるものは、「主体的・対話的で、深い学び」だ。だが、私は今こそもっと足元にある学びという営みそのものの本質に着目するべきだと考えている。 主体的や対話的である以前に、正しく正確な学びが成立する前提条件こそ、教育の質の向上に欠かせない。それは、日本語の『読解力』である。...
04日 9月 2017
アクティブラーニングとは? もっとも、最近、文部科学省は意識的にこの用語を使わない。 何やら、体験型学習であるかのような誤解を招くからだろうか。 代わりに意識的にかつ、頻繁に用いられるのが「主体的・対話的で深い学び」である。 では、「主体的・対話的で深い学び」は、いかにして可能か?...
30日 7月 2017
現在の中学3年生が、大学入試をするとき、センター入試が終わり、新しい共通テストが始まる。 そこでは、試される学力の質が大きく変わろうとしているのか。
12日 7月 2017
人は夢を見る。 現実がつまらないから。 現実が受け入れられないから。 今の自分に満足できないから。 もう少し背伸びしてみたいから。 いや、現実に飽きたから。 どう思おうが、今の自分や自分の置かれた状況に満足できないから、人は夢を見る。 夢を見ることは自由だ。 自由は常に人間に与えられた特権と言って良い。...
15日 4月 2017
桜舞い散るこの季節。 出会いと同時に、また、別れの季節でもある。 学校には、離任式というものがある。 昨日私は、その離任式に招かれている離任者であった。 9年間お世話になった学校を離れ、新しい職場で働く私にとって、 馴れ親しんだ人と場所に別れを告げに行く日だった。 しかし、 訳あって、離任式を欠席しなけばならなくなった。実に残念だった。...
19日 3月 2017
今日は、自分が顧問をしている部活の子どもたちの企画した卒業生を送る会がありました。 この会は、生徒たちが自主的に始めたもので、もう少なくても4年は続いています。 何より嬉しいことは、生徒たちが企画から運営まで、自分たちの手で行っていること。 自主性や企画力に欠けると思われがちな今どきの高校生ですが、そんなことはない。...
16日 3月 2017
はたして人は、どこまで正確な自画像を描けるだろうか。 鏡を前に筆を取り、細部までこだわって筆を走らせる。 デッサン力の問題ももちろんあるだろう。しかし、 それよりももって根深い問題がそこにはないだろうか。 願望という色眼鏡をどこまで外せるか、だ。 ひるがえって、今度は他者を描いてみよう。 見たままを描いてみる。...
15日 3月 2017
人間のできることには限りがある。 どんなに力んでみても、どんなに行動してみても、自分の力で変えられることには限界がある。 明日の命すらどうにもならないかもしれない。 そんな、自己の限界を自覚したとき、人は祈るのだと思う。 有神論的実存主義のヤスパースというドイツの哲学者がいた。彼は、人知を超えた神のようなものを「包括者」を呼んだ。...
12日 3月 2017
本当に書くという行為は、記憶の片隅に沈み込んでいたものを引き上げてくれる。 小論文を授業に取り入れ始めたころ、よく生徒はこんなことを書いていた。 「みんな考え方が違うんだから、みんなに共通した正しい答えなんてない。私がそれを正しいと思うんだから、それで良いのではないか。他者には他者の考えがある。私はそれを否定しない。」...
12日 3月 2017
小論文を書く目的は、読み手に自分の考えを理解してもらうことだ。しかし、「書く」という行為にはもう一つ大切な目的がある。 自分自身との対話である。...

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